屈折

存在というものの形態について考えてみた。
これまで私は事物の存在は私の内に在るのみと考えていたが、
どうやらもっと多くのパターンが考えられるようだ。


宇宙は私の内なるものとは言い切れなくて、
私が宇宙の中に存在するという可能性もあるようだ。


薄々感じてはいたが、今までは確信できなった。
これは私の思考の根幹、思考そのものの方法論、
そういうものをも揺るがす大きな問題だ。