屈折

思い出話の続き。


私は道徳の授業か結構好きで、度々教科書とか他の人の意見とかを攻撃していた。
道徳は明確な答えが無い、考えて遊べる科目だったから。
「何故沈黙が罪なのだ、罪ではないだろう」
「自分の危険を回避するため、他人が虐げられるのを黙認することは、
確かに積極的に肯定こそでないものの、罪てあると非難することも出来ないだろ」
とか、
「過程なんてどうでもよい、世の中大事なのは結果だろう」
「成功という結果があるとき、はじめてその過程が賞賛されるものとして存在してくるのであって、
素晴らしい過程であっても失敗という結果に終わるなら、それは素晴らしくもなんともないだろう」
「何か文句あるか!何故この考え方では駄目なんだ!」
とか。
心底そういう疑問を持ったり、単に面白いから投げかけてみたり。


そういう意見に対して、教師が何をしたかというと、
後で私を呼び出して、「なぁ、分かるだろう」です。
「全然分かりません」とかっていうと、
「そんなんじゃお前はとんでもない大人になる」とかって言われたりもした。


私はとんでもない大人になったんでしょうか。
つまらない大人になっていると自分では思っています。