屈折

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070323k0000m040147000c.html
ちょっと考えさせられた。


私は色んな子をいじめていたらしい。
大半は記憶にないのだが、大勢からそう言われるので、事実なのかもしれない。
そんな私ですが、ある知的障害を持つ子については、記憶に残っている。


その子の親から電話を受けました。
「息子を苛めないでくれ!」って。


私は苛めていません。
それどころか、殆んど関わってませんでした。
かといって、無視したりもしてません。


私は宿題とかをしない子でした。
翌日の授業のこととかも殆んど考えてないので、忘れ物も非常に多かった。
で、先生に叱られるわけです。
大抵は「はいはい、ごめんなさい」と適当に謝罪して終わり。
で、隣の女の子に教科書見せてもらってました。


けど、気分によっては口答えしたりもするわけです。
「A君(その知的障害の子)だって全然宿題しないし、いつも忘れ物してるでしょ」
「何で同じことやってるのに俺は叱られてA君はお咎め無しなんだよ」
とか言って。


どうやら、その知的障害の子は、それが苦痛だったようです。
まぁ、当然です。
けど、恥ずかしながら、その当然のことが、私には分からなかったわけです。


私はその子を攻撃する意図は全く無かったんです。
攻撃対象は教師。
「苛めないで」という電話を受けるまで、
というか、受けた後でよくよく考えてみるまで、
それがその子を追い詰めているということが分からなかった。


恐らく、私だけでなく、学校へも電話があったのでしょう。
教員に呼び出されて、意味不明なことを言われました。
「なぁ、分かるだろ」「お前とは違うんだから」とかって。


「『わかるだろう』ってのは、『お前には説明しても、分からないだろう』っていう意味ですか」
「分かりません、何故同じことをしているのに、私だけがこうして叱られるのですか」
とかって言っても、やっぱり教員は「なぁ、分かるだろう」に終始してました。


ちゃんとした説明があったとしても、当時の私がそれを心底理解出来たかどうかは怪しい。
けど、理屈としては理解出来たと思う。
その教師は本当に説明出来なかったのだろうか。
それとも、やっぱり私には分からないと思っていたのだろうか。


私以外の人は分かっていたのだろうか。
それとも、疑問を感じつつも、タブーを守ることが出来る、
私と違って空気を読める子ばかりだったということか。


今の私が本当に分かっているのかどうかは分からないが、
「なぁ、分かるだろう」という対応が不適切だというのは分かる。


因みに、今の私がどう考えているかということについては、
何となく書かないでおいてみる。