屈折

殆ど考えたことないから何とも言えないが、ちょっと疑問がある。


オープンソースが究極の段階に達しました。欲しいソフトは全て無料で手に入る。数多の知の結晶であるそれらのソフトは非常に優秀で、もはやカスタマイズなど不要。操作性も抜群で、サポートなんか要らない。
このとき、ソフト関係の人は何をやって生きているのでしょうか。そういう究極の状況は決して生じ得ないということが前提なのでしょうか。いや、この前提は非常に自然で、不自然なのは完璧なオープンソースの方ですけど。

オープンソースを支持する人たちは何を狙っているのでしょうか。


本来人は自由にコミュニケート出来るべきだから、通信設備やそれらの利用は全て無料であるべきだ、とかいう運動があるという話は聞かない。
何となくソフトウェアと似ているような気がする産業、音楽や文学。著作権がどーのこーのという話は聞くが、それを本質的に無料にすべきという運動も聞かない。

ソフトウェアを無料にすべきという発想の原点は何なのでしょうか。オープンソースに似た運動が起こらない産業との違いは何なのでしょうか。


文学は著作権が切れれば、基本的に全てがパブリックドメインとなる。音楽も似ている。私にはリバースエンジニアリングの技術は無いので詳しいことは分からないのですが、その点で多くのソフトウェアは文学とは異なる。ソースが公開されなければ、著作権が切れても、表面的な振る舞い以外は失われる。
けど、それは工業製品の作成のノウハウなんかも同じことなので、ソフトウェアが特殊ということはないと思う。

妙に熱烈なその発想が、一体どうやって生まれてきたのか、私には全然分からない。