無題 というか無意味

プログラミング言語は、普通、それが作られた目的が存在する。
きっと我々は、我々がどいういう目的で存在するのか知らないし、そもそも目的が存在するかどうかも知らない。


目的が存在しないし、存在するかどうかも不明である、場合でも、
目的が存在しないし、存在するかどうかも不明である、ということが存在するということは可能なはずです。
少なくとも、どちらの立場にも、考える礎みたいなものは、存在しているんでしょう。
どちらが心の平安に近い立場なのかは分かりませんが。


何も分からない、ということが分かっている、
とかいうことになると、屈折ではなく、きっと哲学の領域なんでしょう。


きっと同じ問題なんですが、
少なくとも私は、自分が存在しないという立場で何かを始めることが出来ないので、
自分の存在は、無条件に信じています。
というか、背理法的な仮定として、とりあえず信じるところか出発してるつもりです。


んで、そういう下らないことを思ったんじゃなくて、プログラミング言語
存在する目的が2つ以上存在すれば、例えばそれらの重みというようなものが発生するので、
どの言語が優れているか、とかいう論争は途端に先が見えなくなるんでしょう。


あー、1つから2つになると途端に発生するで思い出した。
電子の大きさは?


で、もう絶望的に意味不明なわけですが、話を戻して、個人的に、協調性は重要だと思う。
他の言語の中に埋め込んだり、埋め込まれたりするような能力。


とか自分で言っておきながら、やっぱりそう言った瞬間に、
山ほど考えなければならない問題が出てきちゃうんだなぁ。


あと、最近読んだ本の中で妙に納得したことですが、
デバッグし易いだけじゃ駄目だよ!
だってそれを使っている人はデバッグ出来ないじゃん。
使ってもらう前にバグを減らすことを助ける能力は重要。


とかいうと、またまた、色々と頭をよぎる。


どーでもいいわけだが、要するに、結局、そもそも自分は何がしたくて未だ死んでないの?
とかいうことになったりするのでしょうか?