屈折

さて、この日記の本題の屈折についてです。
自己というものはその存在に気付いたときには既に存在してしまっているんだ、
思考の礎は自己の存在に求めなくてならない、
とか私は長らく思ってきました。
このモデルだと、荒っぽく言えば、
自己があって自己の自我があるわけですが、
最近このモデルは間違っているんじゃないかと思っています。
因果関係が逆で、自我が自己を生むのではないかと疑っています。
幸か不幸か知りませんが、唯我がまた一つ強化されつつあるわけです。
このペースだとあと300年ほどで自分がどう生きるべきかが見出せそうです。

語注: 唯我・独我
http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/solipsism.html
> F.C.S. シラーは、唯我論は理論上ではまったく成立するが、実際生活ではこれは不都合なものであるといっているが、
そうなんですよね。
だから困っているわけです。
ここ8年くらい。
頭が悪いので、そこから脱却出来ないんです。